飛騨高山の食品を扱う山一商事。テレビで取り上げられたことにより「飛
騨牛まん」が有名となったが、実は単なる食品メーカーに留まらない企業
だ。山下社長はどのような理由で事業領域を拡大させていったのか。愛知
淑徳大学2年の中西さんが次々と繰り出される予想外の事業内容までうか
がってきました。
今回取材させていただいたのは、岐阜県高山市問屋町にある株式会社山一
商事である。山一商事は大正14年創業の食品を扱う商社、メーカーである。
「つきいち」というブランドネームで飛騨高山の山菜を使った食品を製造
している。
創業から山菜の商品を取り扱っていたが、ここ10年ほど観光客の減少など
もあり売り上げに伸び悩んだそうだ。「山一に何が出来るのか?」「今の
ままでいいのか?」「お客のニーズは何か?」と考えた結果、「飛騨の新
しい魅力を伝えよう」と新しい事業にチャレンジしていったそうだ。その
中でに飛騨牛まん等の新商品も生まれた。
お客さまのニーズをひたすら考えた結果、「お客さまの困っている事なら
何でもやる」というスタイルが生まれた。
山下社長が就任したのは2011年。ちょうど東日本大震災が起こった年だ。
そこで何か役に立てないかと被災地で炊き出しなども行ったそうだ。しか
しそこで感じたのは無力感。その中でも何か我々にできることがないかと
考えたものの、やはり壁はあったそうだ。そんな中、東北で土木の事業を
やってもらえないかという話が出た。食品を扱う会社なのに、土木という
異業種をやることに初めは抵抗や反対があったそうだ。しかし、「必要と
されていることをやる」という強い気持ちがうまれ、土木事業を開始した。
それは山一商事にとって重要な仕事の一つであり、直接的に復興をしてい
るという実感から誇りや喜んでいただく嬉しさを知った。そのような経験
から「出し惜しみなく、お客さまのために必要なら何でもやっていく」と
いうように事業への姿勢が変わったという。
その中に中小企業のブランディングがある。これは売上に伸び悩む業者に
商品開発から売り場づくりまでするという事業だ。これを行うことで中小
企業が活性化し、人と人との繋がりを強くしていく。そうした新しい役割
を担うのが山一商事である。
お話の中で強く印象に残った言葉が2つある。1つ目は「周りが悪くなっ
たという考えではなく、どう自分たちで成し遂げていくか」という言葉だ。
どんなことでも気の持ちようで乗り越えられる。周りのせいにするのでは
なく、自分がどう乗り越えていくのかが重要なのだ。2つ目は「変化=チ
ャンス」という言葉だ。変化を変化として認識しなくては、チャンスをチ
ャンスとして認識することはできない。それは、さまざまな壁を乗り越え
たり、経験をしたからこそ出る考えであり、山一商事の魅力を感じる理由
なのだと実感した。