自然と「共に」生きることをとても大切している、中島社長。
加子母と、加子母からつながっていく世界への想いを、
南山大学宮田くんと、愛知淑徳大学の竹下さんが探ってきました。
1.加子母のまちを作り続ける
中島工務店は、岐阜県中津川市加子母に本社を置き、土木工事、公共建築
工事、住宅建築、社寺建築を手掛ける工務店である。木造・国産材にこだ
わり手間をかけてじっくりと、幾世代も住み続けられる家づくりに専念し
ている。「できることは全て自分達の手で、自分達の商売として」をモッ
トーに、ダム工事や、上下水道整備、コンクリート製造、木造の学校建築、
農業、スーパーマーケット運営など、過疎化の進む地域での雇用確保を目
指し、工務店の枠を越え地域ぐるみで多角経営を行っている。「建設業」
を軸として、「自然に生きる」を理念として、中島工務店は加子母のまち
を作り続ける。
2.地元の資源を使って、地元のコミュニティで生きる
大手のハウスメーカーなどにより外国の木材や人材を安く手に入るように
なり大規模建築が行われることで、日本の木材・社員は不要になる。中島
社長は、「家造りを日本の産業にしなきゃいけない」と強く言い、国内産
業(国内建築)を盛り上げようとする。加子母から関東や中部や関西の20
0ヶ所に広がり、日本の職人の技で、その地域の木や石でその地域に合っ
た「産直住宅」の家造りをしている。そして、加子母界隈では一つの仕事
を通して色んな業種が関わり合い、顔が見える距離で仲間との仕事が行わ
れる。また、加子母の若者が都会に出ていき家を継ぎに戻るときそのため
の働き場所をつくっておき雇用や仕事をつくることもしている。中島工務
店は、地元の資源を使って、地元のコミュニティで生きる。国内の産業を
盛り上げることが地域を盛り上げることに繋がる。地域とは、「自分達の
住んでいる場所」と言えるかもしれない。自分達の地域では、どのような
状況に、どのような仕方で、自分達の地域への取り組み方が求められてい
るのだろうか。どのような地域を求めていくべきなのか。考えていかなけ
ればならない。
3.加子母らしいコミュニティを大切にする
中島工務店の今後の展望は、加子母を日本の中心にして、加子母から全国
に号令を出せるようになることである。加子母では今年子どもが1人も生
まれていない。若者が外に出る、子供の出産数が少ないということが起こ
っている。人口が少なくても都会ならそれに合う産業・国や地域の仕組み
にしていけばいいが、田舎は維持できず住めなくなってしまう。田舎の人
が田舎を守れない。しかし、生まれ育った地域への愛がある。地域の木材
資源と技術を使い地場産業を盛り上げ、いい仕事を手早く安全に安く、い
い物をつくることに信念を抱き、生まれ育った自分の町の加子母らしいコ
ミュニティを大切にしている。
社長は、外に出ていった人や新しく来る人の帰る場所づくりをしている。
加子母周辺の地域は、95%は山。残りの5%でヒトが生きる。自然体で
暮らすなら、木材で商売するという発想は普通だと言う。今の家はコンク
リートやセメントばかりで木造が少ない。木を使っていても外国産の安く
て品質が劣るものばかり。こんなに沢山いい木があるのに。
これで家を作れば、地域活性化だけでなくて国全体が盛り上がる!だから、
天然木材を使って加子母でみんなに仕事が出来る。日が昇ると同時に仕事
を始め、日が落ちると寝る。これが一番のエコで体にも自然にもいい暮ら
しだと言い、実践している。
私の印象に残った言葉は、
「苦しいことは経験しないとわからない。」田舎で育った人じゃないと、
都会の便利な暮らしからは回帰が難しい。体が生活を知らず知らずの間に
覚えてしまっている。だから、加子母に根付くことができた。
最初は社長1人の工務店から始まり、今は関連業者合わせ900人以上の
人が土木業者として地域で働くようになった。
同じような体験をしていないと本当に“人のため”どうすべきかわからな
い。ここ加子母でボーナスや福利厚生を最初に始めたのは中島工務店だと
言う。そしたら、同業他社もやらざる終えなくなって広まっていった。当
初は同業者から嫌がられることもあったが、福利厚生のやり方を教えてく
れと聞きに来る人もいたと言う。
社長が求める人とは
勉強が出来る頭がいい人ではなくて、一生懸命仕事する、周りからだから
助けてあげたくなるようなそんな仕事をしてくれる人。