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「にごり酒」「どぶろく」に特化し、オンリーワンを目指す。日本酒の新
しい楽しみ方を世に広める努力を重ねつづける三輪酒造に、名古屋工業大
学4年広瀬くん、岐阜大学3年高木さん、天野くんが取材に伺いました。

「日本酒は日本のシンボル」8代目三輪研二社長のこの言葉が衝撃的であ
った。

今年で創業から176年という非常に長い歴史を持つ三輪酒造の8代目で
ある研二社長は、大学で6年間生産管理を学んでいたとのことだ。繊維業
界に就職した後、婿養子として酒造業へ転職した異色の経歴の持ち主で。
理系と言うことでビジネスライクなお話になるのかと思っていた。しかし、
酒造りに対する情熱が言葉の節々に感じられた。

繊維業界時代には、ドイツやスイス、イギリス、スペインへ3年ほど滞在
し、その際に「世界から見た日本」を体感したそうで、ワインと同じよう
に日本酒は文化であると考えるようになった。

ワインにも劣らぬ日本独自の「酒(Sake)」、その中でも異彩を持つ
にごり酒の市場は、三輪酒造の代表的なにごり酒「白川郷」によって開拓
されたそうだ。いまやアメリカでも飲まれる国際的なブランドとなった
「白川郷」も、世界遺産の合掌造りで知られる白川村村長の依頼を受け、
30年以上前に偶然誕生したそうで、まじめによい製品を作っていく重要
さと縁の大切さが感じられた。「白川郷」はひとりでに売れると言えるほ
どのブランドで、社長にとっては宝となっているそうだ。現在三輪酒造で
は9割以上がにごり酒で、「白川郷」を丈夫な幹とし、木のように枝葉が
新商品という考え方も興味深かった。もともとどぶろくは米作とほぼ同起
源の歴史を持ち、どぶろく祭りなど神事とも密接に関わってきたそうで、
日本茶と同じほどの日本文化だ。現在の酒業界における消費量は全体的に
減少しており、ノンアルコール製品の台頭が目立つ。お酒を飲む場も減っ
てきていて、すなわち日本のシンボルとして、その存在が危ういのだ。

しかし、三輪酒造ではこれまで、観光地開拓に始まり、オンライン販売や
チルド商品など、流通にも大きく関わる商品を開発してきた。それを生か
して、その伝道師として研二社長は「『日本酒とは何か』という考えを保
ちながら、日本人としての矜恃を持ち、いいものを作り続ける努力をした
い」そうだ。「酒は濁れど想いに一点の曇りなし」という言葉と、「日本
はもちろん、世界ににごり酒を売り込む」という目標を掲げているそうで、
常に革新を続けてきた三輪酒造は、これからも長い時間をかけて新たな伝
統を醸成してゆくことだろう。そしてしっかりとした地盤に支えられた
「NIGORIZAKE」は、これから遠く離れた地にも実を結んでゆく
ことに期待している。

飲み会の席で、私たちがまず注文するのは何だろうか。カシオレ、ビール、
チューハイ…。日本酒を選ぶ人はなかなか少ないように思う。若い人が飲
むイメージはあまりないかもしれない。最近は、健康を気にする人、体力
低下による日本酒離れが起きているようだ。そんな中で、もっと日本酒を
広め、世界に発信したいと考えているのが三輪酒造の社長、三輪研二氏で
ある。社長は、大学卒業後、繊維業に就職。またドイツ、スイス、スペイ
ンなど、海外に行くことが多くあり、世界から見た日本というものを見て
きた。日本酒というものは、名前に「日本」とついているだけあって、日
本の象徴としてとらえられているようだ。ワインとは違ったものであり、
日本の文化である日本酒。
それをうまく説明できなかったことが大変悔しかったという。その後、結
婚を機に酒造の業界に転職した。「人生をかけられる仕事に出会えた」と。

三輪酒造には「白川郷」という、代表的なお酒がある。日本酒には清酒と
呼ばれる透明なものと「白川郷」のようなにごり酒とがある。日本酒とい
うと清酒を思い浮かべる人が多いが、三輪酒造では生産量の9割がにごり
酒である。それだけ、この会社はにごり酒にこだわりを持っている。

日本で初めての冷凍にごり酒、チルド対応の「出来立てにごり酒」の発売、
酒蔵を開放したイベント「酒蔵BAR」なども行っており、新しい事に積
極的に挑戦している。日本酒というものに親しみを持ってほしい、という
思いからなのだろう。しかしながら、むやみやたらに新しいものを作り出
しているわけではない。その根底には「にごり酒を作り続けたい」という
熱い思いがある。日本酒に誇りを持っている。それは酒造という業種であ
るから、という理由よりも、日本人であるから、というものの方が強い。
日本人としての矜持。歌舞伎、お茶と同じように、日本酒を知っている事
が日本人としての自信へつながるものであると社長は言う。酒を飲まなく
なってきている現在、今の人たちに受け入れられる日本酒というものを考
えているようだ。

新しいものへ挑戦していきたい、という革新の思いと、にごり酒を守って
いきたい、いう気持ちが、うまくバランスを取っているように感じた。そ
こにとても惹きこまれた。今回、取材をして、「日本人として」という言
葉が強く残った。社長の日本酒に対する熱い思いも感じ取った。それ以上
に日本人であるなら、自分も日本酒の事を知らなければ、と思った。次の
飲み会では日本酒を飲んでみようと思う。皆さんも知ってほしい。日本酒
とは何か。

私にとって、日本酒といえば透明な液体の清酒であった。しかし、三輪酒
造の日本酒はにごっていた。このお酒はにごり酒というお酒である。私は
この三輪酒造ではどうしてにごり酒ばかり造っているのか気になった。そ
の理由には酒造業界の事情が関係していた。 40年程前はまだ、各酒造
メーカーがそれまでの自分たちのやり方を通せば、十分にやっていける時
代だったが、ここ二十年で清酒の水準がかなり上がり、優劣をつけるのは
難しい状況となっている。さらには、日本酒離れが進んでおり特徴のない
蔵は相手にされなくなっている。そのため酒造業界で生き残るためには新
しいことをやらなければいけないと考えていた。
かつて岐阜の白川村の村長からの依頼が入ったのをきっかけに「白川郷」
というにごり酒を始めたわけであるが、そのにごり酒がヒットし先代の社
長が「にごり酒白川郷」というブランドを育ててきた。そして今、酒造業
界での存在感を確固たるものにする為に、にごり酒でオンリーワンを目指
すと決めたわけである。というのも清酒を造ったり、にごり酒を造ったり
すると、器用でなければどっちつかずになり酒造りがぶれてしまう。その
ような理由でまずはにごり酒を幹にしてぶれないように集中しているわけ
である。

社長は大学でお酒とは全く関係ないことを学び就職した。そしてそこの会
社を辞め、結婚を機に酒造会社に勤めることになった。私はここでなぜ酒
造会社に就職することを決めたのか気になった。その理由は社長が海外に
行った経験に存在していた。社長はドイツやイギリス、スペインなどを回
っているときに自らの国の自慢を嬉々として語る人たちがいた。それなの
に当時の社長には日本人として誇れるものについてよくわからなかった。
そこで社長は「日本人として誇れるものには詳しくありたい。胸をはって
外国の方々に日本の良さを伝えたい」と考えていた。結婚という縁で三輪
酒造に身を置くこととなったのを機に社長は「日本酒に誇りを持ち、その
良さを海外に伝えたい、そのためにこの酒造で頑張ろう」そして「人生を
かけられる仕事」に出会うことにもなった縁に感謝し三輪酒造を守ってい
くことを決意した。

三輪酒造ではこれからいろんな試みをしようとしている。それというのも
今、特に若者の日本酒離れが進んでいて、時代の流れを読んでいろんなこ
とをしていかないとつぶれてしまうからである。社長は「日本酒という伝
統、三輪酒造としての伝統を守るためには常に革新を起こしていかなけれ
ばいけない」とおっしゃっていた。例えば、ノンアルコールの飲み物が人
気になっている状況に対して、ただ嘆くだけでなくそれをどう利用するか
を考えて、にごり酒を造り続けるために、そして多くの人ににごり酒を知
ってもらうために、ノンアルコールにごり酒にも敢えて挑戦を検討するな
ど、様々な戦略を考えている。

今、社長は「にごり酒を世界中に売り、世界のあちこちの国の酒屋で三輪
酒造のにごり酒が並んでいるところを見る」という目標を持っている。社
長は日本人として日本の伝統、日本の誇りを、にごり酒を通して海外に伝
えたいと考えている。そのために三輪酒造は革新を起こし続けている。


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